別冊クリナリオ|ワイン翻訳






言葉としての紹介だけではない、テースティング、
料理とのコーディング、日本市場マーケティング。
ワイン文化を伝える伝道者は、
フランスから日本食の深さと寛容さも訴える。





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フランスに移られて、何年になるのでしょう。


97年2月に移住して間もなく丸13年になります。
日本のビールメーカに勤務している時に「ワインアドバイザー」の資格を取得し、ブラッシュアップの留学のため渡仏しました。

移住の契機は。


カシスの香りです。
ワインの香りの表現で「カシス」がよく出てくるのですが、日本では生のカシスにはまずお目にかかれないのです。

クレーム・ド・カシス (Crème de Cassis)」というカシスから作ったリキュールで想像するだけ。本場のカシスはどんな香りがするんだろう、という好奇心が直接の目的かもしれません。


ブルゴーニュを拠点に、翻訳や通訳、ライターなどの仕事をされています。
仕事の比重は、それぞれどのような感じですか。


年によっても違いますが、時間量にして3:3:4くらい、収入になると4:2:4くらいです。翻訳には企画・コーディネートを含みます。

依頼主から渡された原稿をそのまま翻訳することはあまりありません。
ワインは表現が多い分野なので、どういった目的で訳すのかなど事前打ち合わせはもちろん、企画から参加することが多いです。


いずれの仕事もワイン専門家がバックボーンですね。
「ワインとの関係」は、どのようなものでしたか。


子どもの頃を新潟で過ごしたので、そもそもお酒(日本酒)が好きでした。それが高じて、ビールメーカーに就職、さらに在職時に「ワインアドバイザー」の資格を取得しました。

その後、渡仏して、まずは語学学校に登録しました。
渡仏前は2年くらいなんとなく現地の雰囲気を吸収して帰国しようと思っていたのですが、滞在するうちにどんどん知りたいことが増えてきて、現地のフランス人向けの講座を取ることにしたのです。


「ワインアドバイザー」という資格について教えてください。


「ワインアドバイザー」は厚生省認定の資格試験で、ワインメーカーや流通など実際のワイン業界で働いている人しか受験資格はありません。

一方、ソムリエは、本来飲食業に従事している人しか受験資格がありません。

試験内容は、アドバイザーもソムリエも筆記試験、つまり求められる知識は全く同じです。ただ、ソムリエにはデキャンターなどの実技試験があります。


フランスで取得された「醸造技術者」という資格は、どのようなものですか。


「醸造技術者」はワインの分析のためのディプロマです。

例えばワインを1本出されて、そのアルコール度数や揮発酸、亜硫酸の残留量などを分析します。もちろん、栽培や発酵のメカニズムも試験の範囲です。畑に出たり、試験管を振ったりの実習が多かったですね。

生徒は年間24名だけ。ほとんどが生産者の子弟か脱サラしてワイナリーを興す人で、私は例外的存在でした。

私はこの講座の前に「ワインと文化」という同じくブルゴーニュ大学主宰の資格を取得していて通訳やライターの仕事を始めていたのが、入学選考に有利に働いたのでしょう。これからブルゴーニュワインを日本へ正しく広めくれる人材が欲しかったのだと思います。

有利なのはブルゴーニュではどこへ行ってもこの資格を持っている人がいることです。
翻訳でもワインの世界は特殊なので心配する依頼主の方が多いのですが、この資格を持っているというと全幅の信用をいただけます。
通訳でも最初は不機嫌だった生産者が、急に心を開いてくれることもあります。

このほか、ワインにまつわるエジプトからの歴史、文学、地理、医学を学ぶ「ワインと文化」、そして輸出とマーケティングを学ぶ「ワインとスピリッツ商業」の資格を取得しています。

ですから、ワインに関することなら、テクニカルなことから文化、マーケティングと一通りカバーできるようになりました。


フランスのワイン事情について、教えてください。


フランスでのブドウ栽培とワインの醸造、流通・貿易とも他の国と大きく変わることはありません。基本はどの国も一緒です。
敢えて挙げるとすれば、ワインの名称の規定がガッシリと決まっていることでしょうか。

例えば、「シャンパーニュ」とラベルに記載するからには、ブドウの栽培区域・方法、醸造区域・方法、熟成方法など細かく決められています。

同じフランス産のスパークリングワインと言っても、ロワールで生産されたものはシャンパーニュと記載する権利がありません。

ですから、フランスのワインでは日本の牛肉のような産地偽装はできないのです(笑)。

もともとは消費者保護のために1936年に世界に先駆けて制定されたこのワイン法(AOC法)は、今でも世界中のワイン生産国の見本となっています。

このワイン法はEU統合の一環として、加盟国での統一準備が進んでいます。それに伴って若干の変化もあります。

オーストラリアやニュージーランドといったワイン新興国の安価でコストの低いワインに対抗するために、EU全体としては規制緩和の方向にあります。価格で対抗できない産地については、規制緩和で国際競争力をつけるわけです。

一方、フランスはボルドーブルゴーニュ、シャンパーニュといった高価格でも安定した世界市場を持つ産地があります。

これらの産地についてはEU法とは別に国内の自主規制で現在のAOC法を維持すると見られています。つまり、今後フランスのワインは高級ワインと安価なワインに二分される可能性が高い、ということになります。

日本ではこうした産地保護の統制がまだできていませんね。ワイン産業が活発でないにしても、先進国で何の規制がない国は極めて稀です。

ただ、消費する側としてはマーケットは小さくても良質だと見られています。輸入ワインの1本あたりの価格が高い、つまり高価格ワインが他国と比較して売れているのが日本の大きな特徴です。


フランスで、通訳や翻訳などの仕事の需要は、どのようなものですか。


フランスでの一般的な通訳・翻訳の需要はあるほうだと思います。専門分野では芸術や服飾が多いのではないでしょうか。

ワインの通訳・翻訳はかなりの専門知識を必要とします。フランス語だけではなく、それに当てはまる日本での専門用語を知らないと。
ワインを専門にしている人はほとんどいません。


これまで手掛けられた翻訳で、印象に残っているものがありましたら、教えてください。


フランスのメーカーが日本顧客のためのパンフレットを作成した時のことです。
まずはワードに打った翻訳を日本側に確認していただき、それからフランスのグラフィック・デザイナーがイラストレーターでデザインして試し刷りして再度ご確認のため渡しました。

後日、クレームが来てびっくりしました。イラストレーターにコピーしたテキストの濁音が、なぜか半濁音に変換されていたのです! 

今でも原因は不明です。
日本の顧客には一度ワードにて翻訳を確認してもらっているので、こちらのミスでないことは納得していただきましたが、冷や汗をかきました。

現在では、まずテキストの翻訳を日本側にご確認いただき、さらにデザインが済んだ翻訳も日本側にお渡しする前に必ずチェックさせてもらっています。


印象に残っている通訳の仕事がありましたら、教えてください。


企業研修の通訳で、食中毒に罹ったことです。参加者の半分ほどが中りましたが、私は無事だった参加者のために通訳を続けました。

真冬のローヌ渓谷の吹きさらしのブドウ畑で辛かったです。
普段から出張にはイソジン等持ち歩いてかなり健康には気を遣っていますが、食中毒とは!


ライターの仕事では、いかがでしょう。


ロマネ・コンティの収穫の取材で、収穫人たちから畑の中でワインを振舞われたことです。
商品ではない、収穫時のためのワインなのですが、ブドウを摘みながら歌いながら、青空の下で飲むワインは格別でした。

ワインそのものは高貴で近寄りがたいものがありますが、収穫人たちは陽気でまさにラテン系。

逆に、あれだけ元気に余裕のある収穫でないと、贅を尽くしたワインはできないのかも・・・とも思いました。学生時代にアルバイトしたワイナリーはオーナーが締まり屋で現場はピリピリしていましたから。


「食に関するコーディネート」というお仕事は、どのようなものでしょうか。


日本向けワインのバックラベルを書いています。
テクニカルな情報とフランス語版もバックラベルが届きますが、単純にそれを翻訳するだけということは稀で、ワインの表現や合わせる料理は日本市場用に一任されることがほとんどです。

ワイナリーに出向いてテイスティングをしたり、サンプルを送ってもらったり、フランスの日本料理店とタイアップをコーディネートしたこともあります。


最も好きなブルゴーニュ・ワインの銘柄を教えてください。


コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエの『ミュジニー』。
人間に例えると、一見冷たいくらいの美人ですね。

高貴で。味わいは繊細で清冽です。
タンニンが細かく絹のように滑らかなのに、しっかりと芯が通っています。


ワインに最も合うフランス料理がありましたら、教えてください。


これは答えが難しいですね!
ド・ゴールは大統領就任後に「400種類のチーズを持つフランスの統治は困難である」という名セリフを残しましたが、ワインもAOCだけで400種類あります。
「400種類のワインに合わせる料理を挙げるのは困難である」とお答えしておきます。


和食とワインの親和性は、よく知られています。
食文化のコミュニケータとして、ブルゴーニュから日本へ伝えたいことは、何かありますか。


特にブルゴーニュは赤ワインでもタンニンが柔らかくて和食に向いているといわれています。魚には白、肉には赤といった一般的なセオリーにはこだわらずに色々試していただきたいです。

フランスでは(調理法にもよりますが)、魚に赤ワインを合わせるのがちょっとした流行になっています。

また、どの生産者も口を揃えて言うのが「日本の料理は素晴らしい!」。
最高に味覚が繊細な一流の生産者たちがこぞって言うのですから、
日本の方には自国の食文化にもっと自信を持ってもらいたいですね。






熊田有希子 くまたゆきこ
通訳、翻訳、ライター。東京出身。
国内ビールメーカー勤務後、1997年渡仏。現在、フランス・ブルゴーニュ在住。
ブルゴーニュ大学、ボーヌの専門学校でワインに関する栽培・醸造・文化・ビジネスを学ぶ。
ブルゴーニュワイン委員会主宰のワインスクール日本語講師。
ワインライターとして執筆多数。共訳に『フランスワイン格付け』(料理王国社刊)など。